くだんの必読書関連で,小学校卒業以来まともに本を読んでいないことが判明。


判明というより再確認。で,主に高校時代,みんなが本を読んでいるだろう間に何をしていたのか思い出してみると,少女漫画やジュニア小説(って言うとアレですがコ○ルト文庫の類)を読む,CDを聴く,テレビドラマを見る,テレビで野球中継を見る,といったところでしょうか。テレビ見ながら枝毛を切る(夜の灯りの下だと効率は悪い)のにはまっていた時期もありました。さらに,見終わったあとドラマの感想を書いたりラジオの深夜放送を聞きながらその感想を書いたりもしていましたっけ(手書きなので今ほどは長くない。B5のノートに2〜4pぐらい)。感想って言っても,今なら「萌えー!」って書いて終わりな,そんな感じの。おえかきのらくがきもたまに。


いちおう高校生だったので,教科書の素材文をノートに書き写すといった作業もしていました。ああ,非効率的とわかっているのに写すのが好きだったのです。古文,漢文。気が向けばリーダー(英語)も。それだけで時間がかかるので予習はしていなかったというところがあれですが。あー,でも,古文だけはしていたかな。辞書ひかないと意味わかんないからね。(英語もそれは同じなのだけれど英語の予習はまず滅多にしなかった。これは単に好みの問題)。


それでも国語系は成績が良かったので問題ないのですが,たぶんに影響を受けたのは数学でしょう。その数学の不出来たるや(笑)。数学の授業ってのは基本的に,前の回の終わりに次回の演習問題の範囲と担当の生徒(一人一問ずつで5人ぐらいか)を指名しておき,該当の生徒は授業が始まる前に黒板に書いておく。授業ではそれを元に解き方等を解説,と,そういう流れだった。1年生のころの授業にはそういうイメージはないので講義中心だったのかもしれないけれど,一単元終わって演習になるとそういうサイクルに入っていた。3年生にもなるとほとんどそんなだった気がする。


自分が指名されたときだけ解いていけば(参考書見るなり人に訊くなりして)授業で困ることはないのだけれど,それがよくない。事前に自分で考えていかず授業の時に初めて問題を見るのでは,解説を聞いても何の解説をしているのかさっぱりわからなくなっていったのだった。最初はそうでもなかったんだけど,学年が上がるに連れて。つまり,得意な科目の教科書を意味もなく写している暇があったら数学の予習をしておくべきだったのだ。それはわかっている(いた)んだけど,気が向かないことにはなかなか手を付けられないものよ。まあ結果オーライということで。消費税も総額表示になったので日常生活での四則演算が苦手なことによる不都合も解消の方向に向かっているような(桁が多い繰り上がりの足し算も苦手だけど,かけ算がなくなれば幾分マシ)。


必読書読書時間に関して某氏と話したところ彼は「あなたがフルートを吹いている間,僕は本を読んでいた」と仰った。うちの高校,そんなに部活長くなかったんだけど(部活終わって電車乗って小一時間かけて帰っても中学時代の帰宅時刻(7時前)より早かったんじゃないかなあ,記憶違いかしら)。


こうやって書き出してみると文学的な表現の片鱗のような匂いが感じ取れないでもない。


話しは変わるけれど,男性の一人称の使い分けって,時として魅力的な演出なり効果なりをもたらすものだと思うのはわたくしだけなのかしらん。今までに何度か,普段(大勢が集まっているところでは)「俺」と言う人がサシで呑むと「僕」を使うというケースに遭遇している。酔いが深くなってから不用意に(おそらく)ぽろっと出てきたのも含めると,一人や二人じゃない。言った本人も記憶に無いケースもありそうだけど。


そういう不意打ちに弱かったりします。「たり」ってなんだ?(こういう本来の意味を持たない「たり」を使う表現は嫌いなのに自分でもよく使っているのが不快だ)。


一瞬ガードが緩くなって気を許されたのでは? と勘違いしてしまうから弱いんだけど,それは女子の妄想であって,使っている男の子達の方は他意はないんだろうなあ。